【本】翻訳と日本の近代
翻訳と日本の近代 丸山真男 加藤周一
初、丸山真男 加藤周一。
知の巨人。
内容は明治大正期の英語の翻訳についての対談。
英語を日本の国語にしたらどうなっていたのか?
上流階級と下流階級にインドのような格差が生まれていただろう。
上流階級は、国事を英語で執り行い、下流階級はそれから取り残される。
二人とも博識すなぁ。
「そこに気がついたのは、またしても福沢なのです。
民権とは言うけれど、人権と参政権とを混同している、と福沢は言うんだ。
人権は個人の権利であって、人民の権利ではない、
だから国家権力が人権つまり個人の権利を侵してはいけない、
人民が参政権を持つべきだと言うのを民権というとき、
そこには個人と一般人民との区別がない、
と福沢はいった。」
初、丸山真男 加藤周一。
知の巨人。
内容は明治大正期の英語の翻訳についての対談。
英語を日本の国語にしたらどうなっていたのか?
上流階級と下流階級にインドのような格差が生まれていただろう。
上流階級は、国事を英語で執り行い、下流階級はそれから取り残される。
二人とも博識すなぁ。
「そこに気がついたのは、またしても福沢なのです。
民権とは言うけれど、人権と参政権とを混同している、と福沢は言うんだ。
人権は個人の権利であって、人民の権利ではない、
だから国家権力が人権つまり個人の権利を侵してはいけない、
人民が参政権を持つべきだと言うのを民権というとき、
そこには個人と一般人民との区別がない、
と福沢はいった。」
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